なくてもこまらないけれど、

個人的な事情に個人的に折り合いをつけるブログです

ひとまず4年間

どこかに書いておかないと、このまま何もしないで無為に時間を過ごし続け、4年後も今と同じ状態(時間が減ってる分だけ悪い状態ですね)で同じことを夢想していそうなので書きます。

今は朝起きた瞬間に頭に浮かぶ文章が「はやくしにたい」で、それをバレないように誤魔化しながら生きています。

大人になると、能動的に動かないと変化がありません。子どものうちは入学とか受験とか就職とか時間と共にほぼ自動的に色々な環境変化イベントがありますが、就職するタイプの大人になった場合、何もしなければ次は定年退職までノーイベントです。人によっては不本意な失業イベントがあるかもしれませんが。

学生のころは、あと1年我慢すればこの環境から離れられる、次はうまく行くかもしれないし、という先延ばし思考を希望になんとかやってきましたが、我慢は出来ても次がうまくいったことは一度もありませんでした。どこにいても居心地が悪く、はやく人生終わらないかなと思ってきました。

今までの行いからすると次にやるべきことは、結婚子育てか独身貴族出世競争な気がするものの、どっちをやったとしても最期の瞬間「ああつまらなかった、やっと終わってよかった」と思うことが想像に難くありません。そんな感想を抱けるほど穏やかな最期を迎えられるならまだマシで、その前に選んだ環境に耐え切れなくなり、全部投げ出して全世界に土下座する気持ちで退場するかもしれません。このパターンは後始末で周囲に迷惑をかけまくるのでやめたいです。

できることなら、朝起きたときは「今日は何をしようかな」って思って、最期には「けっこう面白かったな」と思えたら。心穏やかに過ごすことができたら。ささやかな願いのようで、これは億万長者になるよりも、独裁者になるよりも難しいことなんじゃないかと感じています。

多分、私は普通の人生を普通に生きられない人間です。もっと早い段階でそれを認めて、安定と普通から外れる恐怖と戦いながら生きていく決断と抵抗をしないといけなかったです。現在のこの"どうにも生きていけそうにない"という感覚は、決断と抵抗から逃げたツケが回ってきている状態なんだと思います。

なので、遅いかもしれないけれど、今から決断していくことにしました。あえて"抵抗"を外したのは、私はすでに大人になってしまったので、抵抗する相手がいないからです。子どもは実質大人に命を握られている状態なので、自分の決断を認めてもらうための抵抗が必要です。しかし大人になってしまえば何をしても自己責任で突き放されます。良くも悪くも。

ついでに言っておくと、子どものころに選ばされた決断はどんなに本人にとって不本意なものでも、大人からは本人の決断として美化されます。なので、抵抗できる人は早めに抵抗しておいたほうがいいです。大人になっちゃった人は、あの時は不本意だったと今更主張しても相手は聞く耳を持たないしなんとかしてくれることもないので、諦めて今現在を自分の選択でどうにかしたほうが早いです。

私は決断と抵抗から逃げた結果、一人でご飯を食べていく分にはなんとかなりそうな環境にいます。このご時世にありがたいことだと思います。なので、手に入れたものは活かしつつ4年をかけて「生きていける」ようになることを目指します。食べるだけじゃ生きていけない。私は欲深いのです。

ちなみに何故4年かというと、今携わっている仕事が4年後には落ち着くので仕事面でどんな決断をするにしてもタイミングがよいことと、明日から変わるゾ!いや、むしろ今日からDA!とか言い出すとうまくいかないと思うからです。今日から変わるとか、それは変わっていないと思います。無理をしているだけです。無理は続かないです。

そんなわけで、今後何記事かは今まで考えてきたことを書こうと思います。私は同じことを何回も考えてループしてしまう癖があるので、書き出して一旦自分と切り離す作戦です。

 

次回、2つ同時に更新します(2021/12/18更新予定)

「普通の人生について(やりたいと思えないという観点から)」

「普通の人生について(できないという観点から)」